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はじめに
 この地に遣わされて21年、この春で、この地における宣教の勤めを終えることになった。小学生であった三人の子どもたちも成人し、それぞれの家庭を築いていることを思う時、この地での20年余が人生における濃密な時であったことを思う。そして思う。人生の最良の時は、〈これから〉であると。終わりに〈最も新しいもの〉を見ながら、地上での残された伝道者としての日々を生きたいと思う。

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山内 幸

 クリスマス! 暖かく心地良い響きある言葉。森山良子の澄んだ歌声が浮かぶ。
「われ聞けり『かなたには うるわしき都あり』かがやけるかの岸に、われはまもなく着かん、『ハレルヤ』とうたいつつ、うたいつつすすみゆかん、わが足はよわけれど、みちびきたまえ、主よ。」(2編136)

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         故K.I.葬儀説教

聖 書 創世記22章1−14節
    ヨハネによる福音書11章27−40節
讃美歌 320,463,312

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           故K.K.葬儀説教

聖 書 創世記1章1〜5節
    ヨハネによる福音書1章1〜9節
讃美歌 320、(聖歌)206、191

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 「主の晩餐なくして我等は生きながらえることができない」(アビシネの殉教者たちの告白)。

 修道院運動は教父時代とその後の正教会の宣教の伝統を救ったもう一つの要素であった。しかし、究極的には、今日まで正教における本来的な宣教的な次元を表現しているものは、何千もの普通の信徒の単純な信仰であった。・・・ハルナックは、彼らの持っている「愛と慈善の福音」を細心の注意を払って記述したが、そこには、最初の三世紀の一般のキリスト者の生活に関する比類なきみごとな証言が提供されている。われわれは、教会の宣教にとって、この次元の意義深さを決して知りつくすことはできないであろう。彼らが、ゆっくりとそして確実に帝国全体を変貌させてしまったことは疑い得ない。(デイヴィッド・ボッシュ)

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