#不法に満ちた世界

    地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。…
    すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。
                 (創世記6:11−13)

+ここには神が人を造ったことを後悔し、心を痛めるほど堕落し
 た世界があるのです。それは、取って食べてはならないといわ
 れた木の実を取って食べたことに端を発しています。まるで坂
 道を転げ落ちるように、罪は瞬く間に広がっていったのです。
+この罪の拡大を前にして、神はこう言われたのです。「わたし
 は人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。…わたしは
 これらを造ったことを後悔する。」(6:7)
+この神の後悔によって、天地がひっくり返るような大洪水が起
 こったのです。この時の洪水がいかに激しいものであったかは
 「洪水」と訳されているマッブールという言葉から判ります。
 マッブールとは創世記1:6−7にある「大空の上の水/海」
 を意味する特殊な用語です。つまり、ここに描かれた洪水は単
 なる洪水ではなく、宇宙的な規模の破局なのです。この時、創
 造以前の「大いなる深淵」(7:11)が再び口を開いたので
 す。被造物は再び「地は混沌であって、闇が深淵の面」にある
 〈カオスの深み〉に沈み始めたのです。
+この無の深淵に沈みかけた世界を救ったのは神の顧みでした。
 「神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜
 を心に留め」(8:1)られたのです。ここに、天地の境目を
 消し去った洪水は終わるのです。ここから洪水後の新しい世界
 が始まるのです。人類の未来が拓かれるのです。
+洪水後、一体、どのような世界が始まったのでしょうか。大洪
 水によって、地上にはびこる人間の悪は一掃され、エデンの園
 のような地上の楽園が再建されたのでしょうか。神は思いがけ
 ないことを告げています。「人に対して大地を呪うことは二度
 とすまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。」(8
 :21c)
+洪水物語を閉じるこの言葉は、実に不可解な言葉です。なぜな
 ら、ここで言われていることは、神が大洪水によってすべての
 生き物を滅ぼそうと決意された直接の原因だからです。
+私たちがいま生きている世界、それは「混沌」の上に成り立つ
 世界なのです。カオス、それはかつて太古にあった現実である
 だけではなく、常に存在する可能性なのです。「全被造物の背
 後には無の深淵が横たわっている。そして全被造物は常に無の
 深淵に沈む可能性がある。」(フォン・ラート)。世界は今、
 この深淵を覗き込もうとしている。
           #不安の陰り

    わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。
    人は肉にすぎないのだから。
                  (創世記6:3)

+今から14年前、1994年の暮れに電通は「早聞き・先取り
 ・カレンダー」なるものを発表した。そこには、新しい年の動
 向を占うキーワードとして、「潮目」という言葉が使われてい
 た。それは、1995年が戦後50年に当たり、それを機に過
 去を振り返る年になること、また、バブル崩壊後の新しい動き
 を模索する年でもあること、この二つの潮目が交錯するのが1
 995年であるとしたのである。
+この他にもリポートは幾つかの具体例を挙げています。例えば
 普通選挙制度が始まって七十年目に当たる1995年に新しい
 選挙制度がスタートすることや、また、無線通信が発明されて
 百年目を迎える1995年に、携帯電話や衛星データ放送がス
 タートすることなど、1995年を「未来に続いていく、流れ
 の見える年」と位置づけたのです。
+明けて1995年の元旦の朝、目にした新聞から飛び込んでき
 たのは、こんな一文でした。「豊かさと平和が人類の究極の願
 いならば、『戦後五十年』の日本の現在位置は『地上の楽園』
 に他なりません。…が、それにしては、平成七年元旦の日本人
 の顔に、大きな達成感は見受けられません。それどころか、む
 しろ不安の陰りが戻っている…。」
+あれから14年の月日が経ちました。私たち日本人の顔から
 「不安の陰り」は消えたでしょうか。消えるどころか、ますま
 す深まっているのではないでしょうか。この14年、私たちは
 何を見てきたのでしょうか。明治維新に始まる近代日本の、地
 盤崩壊そのものではなかったでしょうか。
+この地盤沈下こそ、アジアの近隣諸国が羨むほど豊かさと平和
 を享受しながら、その顔には「不安の陰り」が漂う原因ではな
 いでしょうか。ある人が、こんなことを言っています。「我々
 の時代は、信じがたいほどの実現能力があるのを感じながら、
 何を実現すべきかが判らないのである。つまり、あらゆる事象
 を征服しながらも、自分自身の主人になれず、自分自身の豊か
 さの中で自己を見失っているのだ。我々の時代はかつてないほ
 ど多くの手段、より多くの知識、より多くの技術をもちながら
 結果的には、歴史上最も不幸な時代として波間に漂っているの
 である。」(オルテガ・がセット)。
+この見方は当たっているように思います。実際、私たちは今、
 「歴史上最も不幸な時代」を、海図も羅針盤も持たずに漂って
 いるのです。私たちは〈岸辺〉に、〈未来〉に辿り着けるので
 しょうか。辿り着けるとしたら、それはどのような〈未来〉な
 のでしょうか。
           #長寿

   レメクは…男の子をもうけた。彼は
   「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、
   この子は慰めてくれるであろう」と言って、
   その子をノア(慰め)と名付けた。
                 (創世記5:28−29)

+血で血を洗う際限のない復讐、それは取って食べてはならない
 といわれた木の実をとって食べたことに端を発している。そし
 て聖書は、この雪だるま式に拡大していく罪を前にして、アダ
 ムに始まりノアに至る系図を置いている。
+この系図で目を引くのは「寿命の長さ」である。この長寿につ
 いては、「神学的意味を明らかにするような、納得のいく解決
 策は未だに発見されていない」といわれている。一般的には、
 長寿は神の祝福である。この系図は、復讐と報復への渇きが途
 方もなく増大した世界を、なお神に祝福された世界であるとし
 た信仰告白ではないのか。
+アダムからノアに至るこの系図が何にもまして目を引くのは、
 この系図が独特な構造をもっていることです。この系図は、全
 体を通じて常に同じ文章で繰り返されています。著者はこれに
 よって、「生まれて、生きて、そして死ぬ」人間の現実を見て
 いるのです。換言すれば、人間は決して時間に取って代わるこ
 とはできない!ということです。
+では、人間は「時間の奴隷」なのか。そのことについて答えて
 いるのが、死を見ることなく世を去ったエノクの存在です。エ
 ノクは「神と共に歩んだ」ことにより、神に取り去られたので
 す。この「取り去り」は、歴史的存在であるエノクが、歴史を
 超えた存在でもあることを示しています。確かに人間は、時間
 に取って代わることはできません。しかし、人間は決して時間
 の奴隷ではないのです。
+まさにここに「ノアの慰め」があるのです。ノアもまた、神と
 共に歩んだ人でした(6:9)。しかもノアはエノクのように
 取り去られることなく、苦悩の歴史を最後まで生き抜いたので
 す。歴史の苦しみに喘ぐ人々の慰めになるようにとの願いを託
 されて!
+しかし聖書はこの後、ノアの家族を除いてすべての被造物が滅
 ぼされたと語ります。み言葉は神と共に歩んだノアでさえ、世
 界の罪を贖うことはできなかったと語るのです(エゼキエル1
 4:14)。
+歴史の苦悩の中で喘ぐ人々がノアに託した祈りは空しく虚空に
 消えてしまったのでしょうか。それについて端的に語っている
 のが、幼子イエスをその腕に抱いたシメオンです(ルカ2:2
 5−32)。神の御子イエス・キリストは、ノアのように、歴
 史の苦しみの中で喘ぐ人々の慰めとなるためにお生まれになっ
 たのです。しかもここにあるのは神と共に歩む〈人間の義〉で
 はなく、人間と共に歩む〈神の義〉です。
+エリアーデは、歴史の恐怖を語りつつ、『永遠回帰の神話』を
 次のような言葉で結んでいます。「この点でキリスト教は明白
 に『堕落した人間』の宗教たることを実証する。すなわち、現
 代人が癒しがたく歴史と進歩にとりつかれているほど、そして
 歴史の進歩が一つの堕落であり、これらが共に祖型と反復の楽
 園の最終的放棄を意味する以上、キリスト教こそ現代人の宗教
 ということになるのだ。」歴史の苦しみの炉で錬り清められた
 十字架のイエスこそ、現代人の慰めなのです。
           #技術革新

     レメクは二人の妻をめとった。
     …ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。
     彼は青銅や鉄でさまざまな道具を作る者となった。
                (創世記4:19、22)

+「地上をさまよい、さすらう者」となり、町を建てて住みつい
 た人類最初の殺人者カイン。ここに大地から引き抜かれ、根な
 し草となった放浪者たちが肩を寄せ合って生きる都市生活が始
 まったと聖書は語る。こうして始まったカインの系図は、7代
 目レメクの時に大きな転換点を迎える。富の蓄積が二人の妻を
 養うことを可能にし、そこから牧畜、音楽を生業とする者が生
 まれ、さらには鍛冶職が人間の歴史に登場したのである。
+ここには穏やかな文明への立ち上がりがある。しかし、この文
 明の進歩とは裏腹に、神と人間との疎外化はますます深刻にな
 っていった。特に、最後の人たち、トバル・カインの登場は、
 決定的に新しい何かを人類の歴史にもたらしたのです。それは
 剣、すなわち武器です。武器を手にして以来、復讐と報復への
 渇きが途方もなく増大したのです。
+文明の進歩と精神の進歩とは、必ずしも歩調をあわせていない
 のです。それは過去2世紀間の科学技術のめざましい発展が、
 私たちの精神に何らそれに見合う発展をもたらさなかったこと
 からも判ります。より真実なのは、「あらゆる技術革新は集団
 の死の危険をはらんでいた」(アンドレ・ヴァラニャック)の
 です。
+宗教学者M.エリアーデは、「鉄が日常生活の中で用いられる
 ようになったのは、地殻鉄鋼の冶金術によってであった。この
 事実は重大な宗教的帰結をもたらした」と教えています。どう
 いうことかと言えば、人間は今や、鉱山や鉱物が分有する大地
 の聖性と直面したのです。エリアーデは言います。「世界中ど
 こでも、抗夫は純潔状態、断食、瞑想、祈り、祭祀行為を含む
 儀式を行う」と。なぜなら、「抗夫たちは、不可侵とされてい
 る聖なる領域にはいるからである。より深淵で、危険な聖性に
 触れる」からであると。
+この未熟なままで掘り出された〈闇の聖性〉をはらんだ鉱石が
 窯に運ばれ、それから、もっとも困難で危険な作業が始まるの
 です。職人は母なる大地に代わって鉱石の〈成長〉を促し、完
 成させるのです。この鉱石の成長を促す決定的な要因が「火」
 です。火は「いっそう早く作る」手段であるばかりではなく、
 「自然」にすでに存在していたものとは別のものを作る手段で
 もあったのです。
+こうして人間は、自然を作り変えることに対する責任を引き受
 けることで、時間にとって代わったのです。地底の深みで「成
 熟する」には地質学的な年月を要するものを、職人は数週間で
 得たのです。ここに、近代の科学技術の特徴である時間に取っ
 て代わろうとする人間の努力が始まったのです。
+問題は、時間に取って代わろうとした人間の営みが、恐るべき
 結果を招いたと語られていることです。人間は剣を手にして以
 来、復讐と報復への渇きが途方もなく増大した世界を生きる者
 となったのです。
          #歴史の恐怖

    レメクは妻に言った。
    「…カインのための復讐が七倍なら
    レメクのためには七十七倍。」
                (創世記4:23、24)

+アダムからノアに至るまでの系図は、生まれ、生き、そして死
 んだと淡々と繰り返す。この系図は、「原初の出来事にとって
 不可欠の要素」であると言った人がいる。この系図によって
 〈人間の創造〉から〈人類の歴史〉への移行がなされているか
 らである。つまり人間はこの時、創造主の祝福により時間の中
 へと広がっていく〈歴史的な存在〉となったのである。
+このことは激動の20世紀を生きてきた私たちにとって、ある
 特別の意味をもっているのではないか。なぜなら私たちは今、
 歴史の苦悩に喘いでいるからである。20世紀を代表する思想
 家のひとりヤスパースは、『歴史の起源と目標』の中で、「現
 代というこの歴史のきれ目は、結果のゆゆしさの点で、過去五
 千年の歴史からわれわれが知るいっさいと比較を絶している」
 と言っている。つまり、私たちは今、何千年か何万年かの人類
 の歴史に、ただの一度もなかった全く新しいところに立ってい
 るのである。ヤスパースは言います。「歴史的圧力はもはやい
 かなる逃避をも許さなくなっているとき、いかにして人々は歴
 史の破局と恐怖―集団的追放、殺戮から原子爆弾まで―を堪え
 忍ぶことができるか」と。
+逃れ道はすべて閉ざされているのです! 退路はすべて断たれ
 たのです! 行くも死、帰るも死、留まるも死! その意味で
 現代はまさに「歴史の破局と恐怖」の時代なのです。言うまで
 もなく、こうした現代という時代の性格を作ったのは科学技術
 の進歩です。ヤスパースは言います。「近代技術の出現ととも
 に事情は一変」したと。しかも、一見万能に見える「科学は…
 しかし精神的には結局無力」であると。科学は精神的には無力
 である! その事実を私たちはヒロシマ・長崎に見てしまった
 のです。ヤスパースはまた、こうも言っています。「現代は精
 神にせよ、人間性にせよ、愛や創造力にせよ、貧困を目指して
 の破壊的な下降」を辿っていると。
+ノアの誕生にまつわるレメクの言葉を読みつつ、わたしはこの
 ヤスパースの言葉を思い出さざるを得ませんでした。聖書はこ
 こにもう一人のレメクを登場させます。このレメクは、世界の
 恐ろしさと自己の無力さの中で根本的な問いを発するのです。
   レメクは…男の子をもうけた。彼は、「主の呪いを受けた
   大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであ
   ろう」と言って、その子をノア(慰め)と名づけた。
                 (創世記5:28、29)
+私たちが真に必要としているのは、七十七倍の復讐を誓うレメ
 クではなく、呪われた地、歴史の苦しみの炉で喘ぎながら生き
 る者の慰め、ノアの父レメクの祈りではないのか。

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