#サクラメントとしての結婚式
 
+知人に頼まれて、写真館のスタジオで結婚式の司式をした。日
 本人の妻とオーストラリア人の夫の結婚式だ。二人とももう若
 くはない年齢であった。
 昨日の今日の話であった。知人は近くの病院で婦長をされた方
 であった。余命3ヶ月を宣告された女性がいる。その方の看病
 のためにオーストラリアからやって来た男性がいる。写真館で
 ウェデングドレスを着た写真を撮り、指輪を交換したいと言っ
 ている。私たちに指輪交換のセレモニーをしてくれないかと頼
 まれたのだが、任が重すぎる。急で申し訳ないが司式をお願い
 できないか、とのことであった。時間があったのでお引き受け
 した。
 それは実に不思議な体験であった。まるで聖餐式に与った時に
 受ける深い感動があった。改めて、結婚が“サクラメント”で
 あることを強く実感させる出来事であった。というか、サクラ
 メントをサクラメントたらしめる要素が何であるかを知らしめ
 る体験であった。深く死を想うこと、メメント・モリがなけれ
 ばサクラメントは単なる象徴でしかない。
 程なく死が二人を分かつ。ふとアウグスティヌスの母モニカの
 臨終の言葉が脳裏をかすめた。旅の途中で臨終を迎えたモニカ
 は、故郷で死なせたいとの願いを口にした息子たちにこう言い
 残している。「このからだはどこにでも好きなところに葬って
 おくれ。そんなことに心をわずらわさないでおくれ。ただ一
 つ、お願いがある。どこにいようとも、主の祭壇のもとで私を
 想い出しておくれ」。
 そうだ、これからは主の祭壇のもとで逢えるのだ! そこに希
 望を見いだして欲しいと願いつつ家路についた。

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