#破滅的な下降
+現代は動乱と危機の時代である。これらの動乱と危機を経なが
ら世界は、結局ある一つの方向に収斂し、やがては新しい時代
が到来するのかもしれない。いや、考えようによってはもうす
でに到来しているともいえる。人々はしかし、この新しい時代
が果して人類にとって望ましいものであるかどうかについて、
深い危惧の念を抱いている。最近日本で催された万博がかかげ
た「人類の進歩と調和」という景気のいいスローガンが、多く
の人々の耳に空念仏としか響かなかったのも、そのためであ
る。実際、現実の世界に徴する限り、現在進行中の文明はあま
りにも多くの矛盾と苦悩を造り出している。……
+かつて人々は科学技術の築き上げた現代文明に誇りを感じた
が、今日ではそれがあまりにも加速度的に進歩することにむし
ろ恐怖を覚えるようになったという事実がある。人々は文明の
代償として、何かかけがえのないものを失っているのではない
か、という疑念を抱いている。これは原爆以前に、また最近喧
しく論じられるようになった公害に人々が気付くようになった
はるか以前に、すでに起きていた感情的反応である。漱石はこ
の恐怖を非常に鋭く、「行人」の一郎に次のごとく表現させて
いる。「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止まること
を知らない科学は、かつて我々に止まることを許してくれたこ
とがない。徒歩から俥、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から
自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行って
も休ませてくれない。どこまでつれて行かれるか分からない。
実に恐しい。」
土居健郎『「甘え」の構造』
+土居健郎がこれを記したのは1971年のことである。事態は
さらに深刻化している。漱石が感じた〈文明の恐ろしさ〉を感
じている者はごくごく少なくなった。そこにあるのは「精神に
せよ、人間性にせよ、愛や創造力にせよ、貧困を目ざしての破
滅的な下降」である(ヤスパース『歴史の起源と目標』)。