#55歳の雑感

+55歳の誕生日が主日と重なった。人影が消えた教会堂の薄明
 かりの中でふと過ぎる。生涯の仕事として心血を注いできた説
 教者としてのゴールが見えてきたと。もちろん平均寿命を生き
 られてのことであるが。ゴールを決めるのは私ではない。神は
 明日にでも私の命を取り去られるかもしれないのだ。でも、焦
 りはない。何かを成し遂げたという訳ではない。むしろ、何一
 つ思い通りにならなかった。これからもならないだろう。

+聖書を読む。時には一日中読み耽る。それでもほんの僅かしか
 知り得ない。でも、飽きない。魅力は尽きない。ほんの僅かで
 も知り得た真理で、人は永遠を生きられるのだから。私が神を
 どれだけ知っているかはさほど問題ではない、と思う。私が神
 に知られていることがすべてである。でも、知りたいと思う。
 たとえおぼろげにしか知り得なくても、私は顔と顔とを合わせ
 て神を見たいと思う。私の心はそのことを思って焦がれる。

+砂漠の修道士アントニウスの生涯に思いを馳せる。何年にもお
 よぶ壮絶なサタンとの闘いの末、彼はキリストの勝利を確信す
 る。サタンとの闘いで疲労のあまり、死んだように倒れている
 彼の傍らに、見えるはずのないキリストの手が、やさしく差し
 伸べられているのであった。彼は、その手を握りしめると、涙
 にむせびながら、こう叫んだ。
 「主よ! あなたは、勝ち給うた!」
 その瞬間に、不思議が起こる。彼の手の中には、ひとかけらの
 パンが、しっかりと握りしめられているのである。いや、正確
 にいうと、それはもはやパンではない。それは、キリストの
 〈からだ〉なのだから。十字架に釘うたれたキリストの
 〈聖体〉なのだ。

+わたしはじっと手を見る。わたしの手に握られているのは……

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