#日本を救う

+「日本の神学には…『日本的キリスト教』の方向とそれとは区
 別されるべきもう一つの線がある。それは『日本を救う』とい
 う関心の一線である。」(大木英夫『神学』49号)。

+日本におけるプロテスタントの歴史は2009年に150年を
 迎える。今から半世紀ほど前、倫理思想史家大内三郎は、日本
 におけるプロテスタント宣教百年の歴史を振り返り、一冊の書
 物を著した。その書物の結びで大内は大変深刻な問題提起をし
 ている。「…日本プロテスタント思想に現れている倫理思考様
 式は聖書的でなかったのではないか。その意味で、キリスト者
 の実践運動そのものに聖書の理解がどの程度含まれていたか、
 …換言すれば、…聖書は、日本人にとって血肉化される余地を
 今後に残しているのではないか…」と。

+こう言って大内は、明治初期の文明開化(自由民権運動をふく
 めて)に対する問題をはじめとして、新神学問題(明治20年
 から34、5年)、内村鑑三不敬事件から教育と宗教の衝突事
 件(明治24〜6年)、日露戦争時における戦争と平和の問題
 (明治35〜8年)、社会主義に関する問題(明治30年から
 末期)、三教会同問題(明治45年)、大正期に入って友愛会
 を中心にした労働問題(大正前半期)、吉野作造のデモクラシ
 ー主張(大正後半期)、社会的キリスト教の問題(昭和4〜8
 年)、そして太平洋戦争の責任問題(昭和15〜20年)など
 を挙げて、次のように言う。

+これらを通覧してまず気づくことは、日本でのキリスト者がも
 っとも注目、心を砕いた問題は、彼らが日本社会に当面した現
 実の問題処理、つまり世俗世界に対する倫理問題だということ
 である。…しかもそのエネルギー提供源はけっして聖書ではな
 く、ナショナリズムであった。推測をまじえていえば、キリス
 ト教人道主義に発していると見てよいと思う。…そして正にそ
 の聖書的でない点に、キリスト者の失敗と欠点とが遺憾なく露
 呈されているとみるのである。
       (大内三郎『近代日本の聖書思想』1960年)

+残念ながら日本基督教団はこの後、紛争に突入し、混乱の中で
 伝道の意欲は失われ、今、少子化と高齢化、そして何よりも贖
 罪信仰の欠如というキリスト教を消滅しかねない危機に苦しみ
 抜いている。

+迷った時は原点に立ち帰れ!という。私たちの教会は2008
 年に迎える教会創立120周年への備えとして「プロジェクト
 J」を立ち上げた。プロジェクトJのJは、ジーザスのJとジ
 ャパンのJである。キリストを日本に、日本をキリストに!を
 合い言葉に、一人一人がキリストの恵みに生かされ、聖書の血
 肉化により、日本を救うためである。「聖書の血肉化」のため
 に私たちは、的を聖餐体験に絞った(参【夢幻通信(39)】)
 
+主の晩餐が日本を救い、世界を救う私たちの挑戦は、すでに始
 まっている。

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