#単純な者
+今日の時代においては、悪人と聖人とが混在しており、しかも
彼らは人々の目の前に公然とみずからの姿をさらしている。こ
こでいう悪人とか聖人とは、倫理学の体系的な規範とは、ほと
んど、あるいは全く何の関係もない。
+彼らは実際に、深淵から現れ出る。彼らは、登場することによ
って彼らがそれぞれ出てきた地獄の深淵と神の深淵とを暴き出
し、わたしたちが想像することもできない秘密を、ほんのしば
らくの間、見せてくれる。
+「悪い行為」よりもなお悪いのは、「悪い存在」である。すな
わち、真実を愛する人が嘘をつくことより、嘘つきが真実を語
ることの方が、もっと悪い。人間を愛する人が一時的に憎しみ
に捕らえられることより、人間に憎しみばかりを抱く者の兄弟
愛の行為の方が、もっと悪い。
+「悪い行為」による罪と、「悪い存在」そのものの罪は同じで
はない。倫理的な「転落」よりも、神への「背反」の方が、無
限に重い比重をもっている。真実な者の弱さによる最大の暗さ
よりも、背反した者のもつ最大の輝きの方が、さらに深い闇夜
なのである。
+悪が、光・善・真実・更新の形をとって現れ、また歴史的必然
性や社会的正義という形をとって現れるということは、物事を
率直に見る目をもっている者にとっては、かえって途方もない
悪の明らかな証拠となる。しかし、倫理学の理論家にとっては
判断を誤らせる原因となる。
+驚くべきことは、悪の深淵や聖なるものの深淵を見ることがで
きない「理性的な人々」が陥る失敗である。彼らは、善意から
裂け目のできている建物を何か理性的なものによって修復でき
ると信じているのである。彼らはその不十分な判断力をもって
両者に対して公平な処置をとろうとするが、結局、ぶつかり合
う両者の力に押しつぶされ、何事もすることができない。結果
本当の良心ではなく、ひねくれた良心を持つことで満足するよ
うになってしまい、しかも絶望に陥らないために自らの良心を
欺くようになる。
+ただ神にのみ拠り所をもち、何ものにも捕らわれることのない
目をもって神と現実を見るということが、単純さと賢さとをひ
とつに結びつける。賢さなしには、真の単純さはなく、単純さ
なしには、真の賢さはないのである。単純な者とは、すべての
概念が転倒し、混乱し、曲解されている時にも、純粋な神の真
理のみに目を留めている者のことである。
(ボンヘッファー『倫理』)