#断絶と継承
+先日、東京神学大学の後援会が、大住雄一教授をお招きして秋
田楢山教会で行われた。神学校をめぐる幾つもの危機−それは
同時に教会の危機である−が語られた。「後援会」だから、話
は財政問題に終始した。参加者たちの話を聞きつつ、わたしの
心はいつしか、元学長左近淑教授が「ユダヤ教における断絶と
継承」について記した文章に吸い寄せられていた。
+左近先生はその文章をこう書き始めている。「その頃読んで忘
れられない文章の一つに山崎正和氏の「『教育』の終焉」があ
る。
「…それはきわめて雄弁にイェールがかつて寺子屋であった
日の情景を思い出させたからである。二十人も収容すれば満
員になるこれらの教室で、神学と、極度に実際的ないくつか
の教科が学ばれた日はそう遠い昔のことではない。特別に偉
い教育家がいたわけでもないはずだが、学生たちにとってそ
れらの教育が死活の問題であった時代である。…教育という
ことは、そこでは残酷な自然と外敵の脅威のもとで、人間が
文化の連続性を守るほとんど唯一の営みだったのである」
(『反体制の条件』)。
+左近先生はさらにこう言葉を続ける。
山崎氏は、ことの根底に「みずからの死後に遺すものはこれだ
という気魄」があるかどうか、を問題にしている。この教育を
継承と置き換えても大きな誤りではないであろう。旧約聖書を
読み、それに生きた民は、その民の中に繰り返し訪れた断絶と
荒廃の時代の中で「みずからの死後に遺す」べきものの継承に
身命を賭した。
+こう言って左近先生は、ラバン・ヨハナン・ベン・ザカイとい
うラビを引き合いに出されるのである。
この人物は紀元七〇年のローマ帝国によるエルサレムおよび神
殿破壊からユダヤ教確立の時代を生きたファリサイ派の指導者
である。彼はローマ軍に包囲されたエルサレムから陥落直前に
脱出した。帝国への抵抗運動を熱狂的に指導したのは熱心党で
あり、彼らはひとりの逃亡も脱出も許さず監視していたが、ラ
バン・ヨハナンは死を装い、ユダヤ教の言い伝えによればトー
ラー(律法)の巻物を抱え、棺に入り、それを少なくとも二人
の弟子に運ばせて、ひそかに脱出した。こうしてローマの軍門
に下り、捕虜となって、当時ローマに降伏した者が抑留されて
いた町ヤブネ(ヤムニア)に行った。…
+今日の言い方からすれば、彼はひよった人間であり、権力に癒
着し、迎合して聖書と宗教集団を遺したということにもなろ
う。しかし現実はもっと複雑であり、彼の選択の幅はきわめて
狭く、難しいものであったにちがいない。そして彼は「みずか
らの死後に遺すもの」を遺し、「文化の連続性を守るほとんど
唯一の営み」を果たしたのである。この時代の歴史の専門家サ
フライは次のように評価している。
「民族的、宗教的組織の崩壊と、当局による制限、経済的困
難、迫害と絶望とが重なり合ったあの困窮の時代に、ラバン
・ヨハナンは、熱心党と訣別し、祭司貴族からも経済貴族か
らも別れ、ある程度ラビの世界の中ですら孤立しながら、精
神的、社会的回復へ通じる新しい民族の生活様式創造のため
の基礎工事を成し遂げたのであった」(『ユダヤ民族史』)。
+2009年、プロテスタント日本伝道は150年を迎える。福
音による日本人の「生活様式創造のための基礎工事」はまだ端
緒についていないのではないか。先人たちが据えた土台が腐り
かけているのだ。教会は「福音が純粋に教えられ、聖礼典が福
音に従って正しく執行せられる」(アウクスブルク信仰告白、
第七条)ことによって立つ。その二つが今、危機に瀕している
のだ。少なからざる教職・信徒の中で、「同情的イエスがカル
バリーのキリストに取って代わってしまった」(ホプキンズ)
ことによる。
+この危機を乗り越えるには伝道者を養成する神学校が、そして
日本伝道の最先端にある各個教会が、かつてのイェールのよう
に、断絶と荒廃の時代の中で「みずからの死後に遺す」べきも
の、〈十字架のキリスト〉の継承に身命を賭す気魄を取り戻す
以外にない。取り戻せなければ、日本からキリスト教は消滅す
る。その徴候はすでに、ここ彼処で始まっている。