#インマヌエル(神、我らと共に)
+街にはイルミネーションが灯り、クリスマスを迎える華やいだ
雰囲気を醸し出している。敗戦後、進駐軍の間で祝われたクリ
スマスが、いつしか巷の楽しみになった。年々飾り付けは派手
になり、楽しみ方も多様化している。この国のクリスマス行事
は、神道の初詣、仏教の盆に匹敵する国民行事になった感があ
る。しかし、そこには中心がない。
+日本語学者、大野晋氏がこんなことを言っている。
今日の日本人の大部分は死ねばお寺の世話になるであろう
しかしそれだからとて日本人が仏教徒であるといえば何処か
しらおかしいところがある。仏教の経文を一字も知らない、
仏教の説教を一度も心から聴聞したことのない日本人は現在
極めて多い。また神道を家の宗教とする家もあるにはあるが
神道の教理を体系的に教えられ、それを理解し信奉している
人々が果たしてどれほどあるかといえば、その数は極めて少
ないに相違ない。またキリスト教を信仰する人々もあるが、
その数はまた少ないと思われる。それゆえ、キリスト教徒が
唯一の神の前に自己の罪を告白してゆるしを乞うという行為
の意味を日本人は一般に理解し得ない。
+この大野氏の言葉を読みつつ、旧約学者左近淑氏が「旧約聖書
と日本人」の中で語られた言葉が思い起こされた。左近氏は、
「日本人として日本という精神的境位の中で聖書を読むことの
問題性は大きい」と言い、こう言葉を続けている。
もしも日本人が旧約聖書を深く読み、これを極めた、と仮
定しよう。そしたら、新しい生の様式がこの日本に生まれる
だろうか。…わたしはその点でかなり悲観的である。
+こう言って左近氏は、神学生の頃に聞いたという亀井勝一郎氏
の講演の一節を紹介する。
大抵の家の本棚にはロマン・ローランと宮本武蔵と論語が
一列に並んでいる。日本文化は一流品なら何でも並べる知的
デパートである。あらゆることに心を傾けているように見え
ながら、何にも命をささげていない。いろいろなものを雑然
ともっているだけだ。ちょうど、ビールを飲んで日本酒を飲
んだ人間がウイスキーを飲んで焼酎を飲んだような酩酊状態
に似ている。…
+そして左近氏は、「聖書も、日本人の知的デパートを賑わし、
色どりを添える一冊の本にすぎないのではないか」と言うので
ある。聖書に根ざした、新しい生の様式が日本に生まれること
はないのだろうか。
+実は、聖書そのものが「宗教的雑居性」の産物なのである。船
水衛司氏は、クレメンスの『旧約聖書における神の臨在思想』
の訳者まえがきでこんなことを言っている。
旧約聖書の内容は古代イスラエル宗教そのものではない。
旧約聖書は、宗教混淆をくり返した古代イスラエル宗教に対
する一種の批判の書だからである。…現実のイスラエル宗教
とその内容を異にする旧約聖書に統一的テーマがあるとすれ
ば、それは、イスラエルの真中にヤーウェが住まわれるとい
う確信である。…神の超越性と内在性という同時存在という
緊張を内にはらむ神についてのこの体験知は、イスラエル民
族のながい苛酷な歴史のなかで、忠信な人びとの当惑と苦悶
の種となった。…この期待は、ユダヤ教のシェキーナー(神
の地上的臨在の意)の思想を経て、ついに「受肉」の思想へ
と展開した。
+クリスマスとは何か。それは、神が「何にも命をささげていな
い」、空虚な中心、汚れでしかない私たちのもとに、天を引き
裂いて下ってこられたということである。神は私たちに「生き
よ」と言っておられるのである。それが、インマヌエル!の奇
跡なのだ。