#自由からの逃亡
主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
彼は答えた。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、
恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
(創世記3:9−10)
+20世紀という時代の性格を決定した巨人の一人にフロイトが
います。そのフロイトの弟子で、1933年にナチス・ドイツ
から追われ、アメリカに亡命したフロムは、第二次世界大戦勃
発の年に、『自由からの逃走』を発表しました。フロムはこの
本を書いた動機をこう記しています。「ルネッサンス以降、さ
まざまな束縛から自由になったはずの近代人が、なぜナチスの
ような全体主義国家へと傾斜していったのか? そのメカニズ
ムを解明することは、全体主義的な力を征服しようとするすべ
ての行為の前提である」と。
+近代史は、個人の完全な解放史であるといっても過言ではあり
ません。中世的な世界を打ち破り、もっとも露骨な束縛から人
人を解放するのに、400年以上もかかったのです。しかしフ
ロムは、そうしてやっと手にした自由を人々は自ら進んで手放
しているというのです。自由から新しい隷属への、あるいは少
なくとも完全な無関心への、恐るべき逃走が起こっているとい
うのです。
+フロムは、この現代における逃避の主要な社会的通路として、
ファシスト国家に起こったような指導者への隷属と、民主主義
国家に広く行きわたっている強制的な画一化を上げています。
つまり自由からの逃避は、一方ではファシズム体制であり、他
方では近代デモクラシーという実を結んだというのです。因み
に、この二つは近代日本の顔です。戦前、天皇制による全体主
義国家体制を敷き、戦後は近代デモクラシーを謳歌しているの
です。つまり、私たちの国は自由からの逃避をもっとも完全な
形で成し遂げた国なのです。
+ところで、聖書も、自由からの逃亡を語ります。しかも原初史
の早い段階で語るのです。それは「善悪の知恵の木」の実を食
べた結果起こりました。その結果、一体であるべき男と女の関
係は、主従の関係となり(3:16)、人間がそこから取られ
た大地は呪われ(3:17)、男は一生額に汗して食物を得な
ければならず、ついには土に帰るのです(3:19)。ここに
あるのはまさに、「堪えがたい孤独感と無力感」です。
+聖書によれば自由からの逃亡は、人間が善悪を知る知識の木の
実を取ったときから始まったのです。つまり人間はその本質を
神の方に近づけることによって、神のようになろうとしたこと
によって、楽園における生活(自由)を棒に振ったのです。彼
に残ったのは、労苦の中の生活、疲労困憊させる謎に満ちた生
活であり、悪の力との希望なき戦いに巻き込まれ、最後には無
条件に死に陥る孤独でした。聖書がこの後に描いているのは、
「孤独な群衆」が互いに傷つけ合い、殺し合う世界です。