#不安の陰り
わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。
人は肉にすぎないのだから。
(創世記6:3)
+今から14年前、1994年の暮れに電通は「早聞き・先取り
・カレンダー」なるものを発表した。そこには、新しい年の動
向を占うキーワードとして、「潮目」という言葉が使われてい
た。それは、1995年が戦後50年に当たり、それを機に過
去を振り返る年になること、また、バブル崩壊後の新しい動き
を模索する年でもあること、この二つの潮目が交錯するのが1
995年であるとしたのである。
+この他にもリポートは幾つかの具体例を挙げています。例えば
普通選挙制度が始まって七十年目に当たる1995年に新しい
選挙制度がスタートすることや、また、無線通信が発明されて
百年目を迎える1995年に、携帯電話や衛星データ放送がス
タートすることなど、1995年を「未来に続いていく、流れ
の見える年」と位置づけたのです。
+明けて1995年の元旦の朝、目にした新聞から飛び込んでき
たのは、こんな一文でした。「豊かさと平和が人類の究極の願
いならば、『戦後五十年』の日本の現在位置は『地上の楽園』
に他なりません。…が、それにしては、平成七年元旦の日本人
の顔に、大きな達成感は見受けられません。それどころか、む
しろ不安の陰りが戻っている…。」
+あれから14年の月日が経ちました。私たち日本人の顔から
「不安の陰り」は消えたでしょうか。消えるどころか、ますま
す深まっているのではないでしょうか。この14年、私たちは
何を見てきたのでしょうか。明治維新に始まる近代日本の、地
盤崩壊そのものではなかったでしょうか。
+この地盤沈下こそ、アジアの近隣諸国が羨むほど豊かさと平和
を享受しながら、その顔には「不安の陰り」が漂う原因ではな
いでしょうか。ある人が、こんなことを言っています。「我々
の時代は、信じがたいほどの実現能力があるのを感じながら、
何を実現すべきかが判らないのである。つまり、あらゆる事象
を征服しながらも、自分自身の主人になれず、自分自身の豊か
さの中で自己を見失っているのだ。我々の時代はかつてないほ
ど多くの手段、より多くの知識、より多くの技術をもちながら
結果的には、歴史上最も不幸な時代として波間に漂っているの
である。」(オルテガ・がセット)。
+この見方は当たっているように思います。実際、私たちは今、
「歴史上最も不幸な時代」を、海図も羅針盤も持たずに漂って
いるのです。私たちは〈岸辺〉に、〈未来〉に辿り着けるので
しょうか。辿り着けるとしたら、それはどのような〈未来〉な
のでしょうか。