希望の挫折
見よ、主の言葉があった。
「その者があなたの跡を継ぐのではなく、
あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
(創世記15:4)
+神の召命を受けて、行き先も知らずにアブラハムが旅立ったの
は75歳の時でした。そのアブラハムに息子イサクが生まれた
のは100歳の時です。神の約束が実現するまでに、実に四半
世紀の時が経過しているのです。
+この間、アブラハムは様々な試練に襲われました。その一つに
アブラハムが神の召命に応えて、「生まれ故郷、父の家を離れ
て」から10年目にあった出来事があります。アブラハムはす
でに85歳、妻サラは75歳になっていました。
+小説『聖書』の中に、この時のサラの心情が次のように描かれ
ています。「サライは時の経過を痛いほど意識した。神がその
約束をしてから、彼女は毎月のように妊娠していないことに落
胆してきたのだ。…サライの顔に花ひらいた若々しさは、とう
に消えうせていた。彼女の中の女らしさも革のように干からび
奇跡も消えてしまったようだった。…そこで彼女は自分の手で
問題を解決することにした」と。
+その解決策とは、エジプトの女奴隷ハガルを側女としてアブラ
ハムに与え、子を得るということでした。サラのこの決断には
どれほどの苦悩と無念さがあったことか! しかし、サラはそ
こに、一塁の望みを託したのです。そしてサラの計画は実現し
たのです。
+しかしその結果は、最悪の事態となりました。このあと神は、
アブラハムに13年間沈黙されたのです。神の約束を自らの手
で実現しようとしたアブラハムの過ちがいかに深刻であったか
は、この13年におよぶ神の沈黙が雄弁に語っています。
+それにしても、神の約束の実現に人間が手を貸すことの何が問
題なのでしょうか。フロムは『希望の革命』の中でこんなこと
を言っています。「希望は逆説的である。希望は受動的に待つ
ことでもなく、起こりえない状況を無理に起こそうとする非現
実的な態度でもない。希望はうずくまった虎のようなもので、
跳びかかるべき瞬間がきた時に初めて跳びかかるのだ。…希望
を持つということは、まだ生まれていないもののためにいつで
も準備ができているということであり、たとえ一生のうちに何
も生まれなかったとしても、絶望的にならないということであ
る。」
+アブラハムにはこの「希望」が欠けていたのです。ゆえに、側
女ハガルから跡継ぎを得るという、「起こりえない状況を無理
に起こそうと」したのです。この希望の挫折の経験を経てアブ
ラハムは「信仰の父」となるのです。
希望を持つということは、まだ生まれていないもののために
いつでも準備ができているということであり、
たとえ一生のうちに何も生まれなかったとしても、
絶望的にならないということである。