第一部 ミサの歴史  J.A.ユングマン

       第四章  ギリシア教父と東方典礼

ギリシア教父(2)
+ギリシア教父たちもシリアのエフラエムもたびたび、キリスト
 がすでに最後の晩餐でこの奉献をしているのだという思想を繰
 り返している。
+このことをニュッサのグレゴリウスは明言している。キリスト
 はわれわれのために自由に自分の命をささげたのであり、その
 自発性なしには、ユダヤ人の悪意も、なすすべもなかったのだ
 と。「彼は知恵を働かせて彼らの機先を制し…われわれのため
 の供え物として、また献げ物となって、己が身をささげた」。
 奉献がすでに「目には見えない神秘的なしかたで」全うされた
 ことを、こうして示したのである。
+ナジアンゾスのグレゴリウスも、いまも絶えず行われている神
 秘的な屠りのことをある手紙の中で述べている。その中で「君
 のことばによってことばをもたらす時、声を剣にし、血を流す
 ことなく主のからだと血を切り分ける時」、自分のために祈っ
 てくれるように頼んでいる。
+ここで注目すべきもう一つの点は、奉献に結びつけられたおか
 げで、取り次ぎの祈りが格別霊験あらたかだ、とされるように
 なったことである。新しく信者になった者にミサのことを説明
 する中で、取り次ぎの祈りの価値が強調される。すなわち、聖
 霊が下るように祈り、奉献できてから、「この和解のささげも
 のの上で、教会全体におよぶ平和のため、世界の福祉のため、
 王や兵士や同盟国の人のため、病人や虐待されている人や助け
 を必要としているすべての人のために、一同、神に祈る。…そ
 れから死者を偲ぶ。…おののかんばかりの聖なるささげものが
 私たちの前にある時にささげられる祈りは、おおいに人々の魂
 のためになると信ずるからである」。

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