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         故K.I.葬儀説教

聖 書 創世記22章1−14節
    ヨハネによる福音書11章27−40節
讃美歌 320,463,312

 K.I.さんは10月19日未明、78年の地上の生涯を終えられて、主のみもとにめされました。K.さんが2012年のクリスマスに洗礼を受けた時に書かれた文章と、ご遺族がお書きくださいました資料をもとに、故人の略歴に触れ、K.さんが生きた78年を振り返ってみたいと思います。
 K.さんのご両親は昭和5年、大曲キリスト教会荒井源三郎牧師の司式で結婚されました。二人の兄と二人の弟の五人兄弟でした。日中戦争が始まった翌年、昭和13年、K.さん生後3カ月の時、父親の仕事で家族は中国に移住されました。そこはモンゴルと国境を隔てた街で、「大草原の壮大な落日、砂漠を行くラクダの大移動、オオカミの遠吠え」が幼心に刻まれたそうです。その町には4万人の日本人が生活し、教育も行き届き、子どもにとっては楽園であったと述懐しておられます。
その楽園生活が敗戦で一変します。当時7歳のK.さんは、郷里大曲に引き上げた時のことを次のように振り返っておられました。「歯の根ががちがち震えて合わせることが出来ない程の恐怖を経験、人間ぎゅうずめの無蓋車、夜中の銃撃。そんな混乱の中、仕事で離れて暮らしていた父との奇跡の再会。母のおなかには弟がいましたが、皆無事に帰国することができました。」
引き揚げ後の7人家族、生活のために懸命に働くご両親にかわってK.さんは衣、食、住の家事一切を引き受けます。そして24歳の時、K.I.さんと結婚、二人のお子さんに恵まれました。私たちの国は敗戦後の混乱から立ち上がり、高度経済成長の坂をひた走り、やがて飽食の時代を迎えていました。その飽食の時代にK.さんは、特に減塩料理を普及する料理研究家として活躍されました。社交的で明るく、面倒見の良い人でした。

故人の人となりにつきましては、この後、弔辞をいただきますお二人に委ねて、私は、キリスト者K.I.の死と生についてお話しさせていただきたいと思います。
K.さんが私ども秋田楢山教会の門を叩かれたのは、3年半前でした。大学病院で胃がんと診断され、しかもステージは5、末期ガンで余命半年と宣告されました。その日、病院から帰ったK.さんに、ご主人が言われたそうです。「君は、自分の人生をどう締めくくるのか。」
その一言がきっかけとなり、教会に電話をかけてこられました。それから一度も休むことなく、熱心に礼拝生活を続けられました。ある高名な学者は、「とくに優れて宗教的な年齢は……老年期である」(ウィリアム・ジェームズ)と言いました。聖書に、「夕暮れになっても、光がある」(ゼカリヤ14:7)とある通りです。
後期高齢者になって信仰生活を始められたK.さんの、この3年余の信仰生活を一言で表現するならば、それは死と戦い続けた信仰生活でした。
 柳田邦男は『「死の医学」への序章』という本を書いています。その冒頭に、死の宣告を受けた癌患者が書き残した手記を紹介し、こんなことを言っています。「死に直面した人々の手記には、ほとんど偶然の一致ともいうべき光への感動、目に映る世界への感動が歌われている……。……死を不可避なものとして意識するということは、それが1年先のことであれ、3年先のことであれ、いまという瞬間の生を濃密に意識せざるを得ない状況をつくり出す。1日1日が緊迫する。必死になる。その緊迫感が、病いを知らぬ日常の何十倍にも感性を鋭敏にするに違いない。光を強烈に感じ、心を動かされるというのは、感性が昂揚していることの一つの表われと見ることができないだろうか。」
 わたしがK.さんに見たのは、こうした光への感動ではありません。圭子さんは人類最後の敵、死と最後まで戦い続けたのです。信仰を持ったのだから穏やかに死を迎えるというのは誤解というか、無知です。聖書は、死を前にしたイエス・キリストを次のように描いています。「イエスはひどく恐れてもだえ始め、……『わたしは死ぬばかりに悲しい。……』」と言って、池面にひれ伏し、血の滴りのような汗を流して祈られたと。

 K.さんの死と戦う生き様というか、死に様はどこから来ていたのか。それを知る一つの手掛かりが、先ほどお読みしたヨハネによる福音書11章、主イエスが死んで墓に葬られた四日経っていたラザロを葬られるという奇跡物語です。
 そこに描かれている光景は、私たちが葬儀の時によく目にするものです。愛する者を失い、深い嘆きと悲しみの中にある人々と、その人々を慰めようとして集う人々。このよく目にする光景で、ひときわ異彩を放っているのがイエスです。主イエスは、愛する者を失い、深い悲しみに泣く人々を見ると、「心に憤りを覚え」、「興奮し」たというのです。
 愛する者の死を嘆き悲しむ人々を見て、主イエスは「心に憤りを覚え」たというこの記述は、多くの学者たちを悩ませてきました。ある聖書はここを、「激しく感動し」と意訳しています。こう訳すことで、主イエスは、ラザロの死を嘆き悲しむ人々に同情を示されたとしたのです。
 しかしこの時の主イエスを、同情や憐れみで語るのは、この話の展開からして説明がつかないのです。なぜなら、主イエスはラザロの死を巡って、弟子たちに次のように語っておられたからです。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった!」
 愛する者の死は、受入れ難いもの、絶対に肯定し得ないものです。ところが主イエスはラザロの死を知って、「わたしはそこに居合わせなかったことを、君達のために喜ぶ」と言われたのです。この主イエスの言葉はわたしたちの理解を越えています。実は、ラザロの姉妹マルタとマリアの悲しみは、主イエスがそこに居合わせなかったことによるのです。マルタもマリアも、口を揃えたかのように、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21、32)と言ったのです。
 彼女たちにはそう言う権利があったのです。マルタとマリアは、ラザロが病気で苦しんでいたとき、主イエスのもとに使者を遣わし、一刻も早く駆けつけてくださるように懇願したのです(3)。ところが主イエスは、「この病は死に至らず」といって、なおそこに二日間滞在されたのです。一刻も早く駆けつけて欲しい主イエスは、いっこうに腰を上げようとされないのです。主イエスがやっと腰を上げ、ベタニヤにこられたとき、ラザロは死んで墓に葬られ、すでに四日も経っていたのです。
 こうした主イエスの言動を見る限り、ラザロの墓の前で示された主イエスの激情を、悲しむ者たちへの同情や憐れみというのでは説明がつかないのです。そこで最近の訳は、この言葉を本来の意味で訳しています。つまり、主イエスはラザロの墓の前で「憤りを覚え」たと、「憤慨した」と。
問題は、なぜ、主イエスは愛する者を失い、悲しむ人々を見て、「心に憤りを覚え、興奮」されるのかということです。それについて次のように言った人がいます。この時主イエスは「戦いに臨む戦士として墓に向われた」(カルヴァン)と。つまり、主イエスがラザロの墓の前で「心に憤りを覚え、興奮」されたのは、人類「最後の敵である死」に戦いを挑む戦士としての有り様を描いたものであるというのです。
問題は、人類「最後の敵である死」に戦いを挑む主イエスの武器は何かということです。聖書は、イエスは「心に憤りを覚え」に続けて、「興奮」したと描きます。「興奮して」とは普通、「心を騒がせ」と訳される言葉です。ヨハネはこの言葉で、「十字架を負う主イエス」の内面を描いたのです(12:27、13:21)。つまりヨハネは、ラザロの墓の前で主イエスが露わにされた憤りによって、人類最後の敵である「死」と戦う主イエスの武器は十字架であるとしたのです。神の御子イエス・キリストは十字架の死でもって、人類最後の敵である「死」を打ち破られたというのがキリスト教の信仰なのです。

この人類最後の敵・死と戦うイエス・キリストの武器、十字架の死を記念するのが聖餐式というキリスト教の儀式です。パンとぶどう酒をキリストの体、血として食べる宗教儀礼です。
 私たちの教会では、毎週の礼拝で聖餐式を行います。K.さんは毎回、これは主の体、これは主の血ですと手渡す時、私の目を真正面から見据えられました。そして、聖餐にあずかりながら、よく涙を流しておられました。K.さんにとって、一回一回の聖餐が文字通り「最後の晩餐」だったのです。「死の固めの式」だったのです。
 その意味で、K.さんが秋田楢山教会の一員として生きられた3年有余は、私たちにとって特別の時でした。私たちは皆、「死を前にした人間」です。しかし、K.I.さんは文字通り、「死を前にした人間」でした。その方と、キリストの体と血を間に挟んで真正面から対峙することは、聖餐の神秘を深く味わい知る時となったのです。

K.さんが、今年の誕生愛餐会で「わたしの好きな聖句」として選ばれたのが創世記22章14節のみ言葉、「主の山に、備えあり」です。この主の山の備えこそ、主の晩餐なのです。み言葉はそれを次のように語ります。「万軍の主はこの山で祝宴を開き、すべての民に良い肉と古い酒を供される。・・・主はこの山で、すべての民の顔を包んでいた布と、すべての国を覆っていた布を滅ぼし、死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい・・・去ってくださる。・・・この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び踊ろう」(イザヤ25:6−9)と。
K.I.が、人類最後の敵である死と最後まで戦い続けた力は十字架のキリスト、神がその独り子を給うほど、世を愛された愛によるのです。それを端的に描いのが「イエスの涙」です。「イエスは涙を流された!」のです。この時、主イエスの流された涙を目撃した人々は、口々にこう言います。36節、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか。」この愛は、神が御子イエスを十字架に上げることで示された、この〈世〉に対する〈愛〉なのです。
 ラザロは、死人の内に横たわっているしかなかったラザロは、この愛によって甦るのです。然り、十字架のキリストにおいて啓示された神の愛は死よりも強いのです。

 K.さんは洗礼を受ける時、こう言われました。「病院のベッドで静かに聖書を開き、自分のいままでの有り様を省みました。持てる力以上の力を与えてください、お守りください、皆が喜んで暮らせますようになど、どれも自分に都合のよいことばかり。それがお祈りだなんて、恥ずかしさに涙があふれてなりませんでした。悲しみ、喜び、不安の交錯するこの世に生きる意味、人生において神、そしてキリストに出会うとはどういうことなのか、恵みの時が与えられたのだと思います。」
 K.さんは確かに死にました。もう私たちには、闊達に話しかける圭子さんの声は聞こえません。元気に動き回る圭子さんの姿を見ることはできません。しかし、キリスト者K.I.は十字架のキリストに示された神の愛によって、死んでも生きるのです。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」
 K.I.さんは、このキリストにある新しい時を、恵みの時を生きるのです。

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