#痛みの下に横たわる世界
民は一つで、みな同じ言葉である。
彼らはすでにこの事をしはじめた。
…もはや何事もとどめ得ないであろう。
(創世記11:6)
+世界と人類のおかれている根本的状況を記した原初史(創世記
2:4ロ−11章)の最後に置かれているのは「バベルの塔」
の物語です。ここには、天にまで届く塔のある街を建てようと
した人間の営みが神の逆鱗に触れ、人間は互いに言葉の通じな
いものとなって、全地に散らされたことが記されています。
+私は、この全地に散らされたバベルの塔の物語を読みつつ、北
森嘉蔵が『神の痛みの神学』の中に記した言葉を思い起こして
いました。「我々の生きている今日は、最も優勢なる意味にお
いて『死の時代』であり、『痛みの時代』である。私の眼には
今日世界は、大空の下に横たわっているのではなく、痛みの下
に横たわっているものとして映ずる。」
+ここで北森が言う「我々の生きている今日」とは、直接的には
第二次世界大戦の頃です。同じことが現代についても言えるの
ではないでしょうか。私たちが今、現に生きている世界もまた
痛みの下に横たわっている世界ではないでしょうか。世界はあ
の死の時代をくぐり抜け、大空の下に横たわっているのではな
いのです。ベルリンの壁崩壊後、民族抗争の嵐が吹き荒れてい
ます。一部の独裁者が富を独占し、大多数の民衆は飢えと病、
死の恐怖という痛みの下に身を横たえているのです。
+バベルの塔以降、「世界は、大空の下に横たわっているのでは
なく、痛みの下に横たわって」いたのではないでしょうか。あ
る人はこの出来事の中に、「人間の恐るべき可能性に直面した
ときの古代人の真の恐怖を感じる」(フォン・ラート)と言っ
ています。
+バベルの塔の物語は不思議なほど透明に、人間のあらゆる文化
活動とそれを支える基礎的な力が何であるかを示しています。
つまり経済的な結びつきと、大きくなりたいという旺盛な欲望
が、人間をして技術的に巨大な事業を試みさせたのです。
+聖書は、こうした文明の進歩、あるいは文化への緩やかな立ち
上がりを単純に肯定しているわけではありません。むしろ、そ
こに神ご自身に対する攻撃を見ているのです。人間は天に届く
塔を建てることで神に近づいたのではなく、神からさらに離れ
たのであると。そこに広がる世界は「互に言葉が通じない」
(11:7)世界です。「個人は孤独に、おそらく歴史上のい
かなる時よりも孤独」(ゾンバルト)となったのです。
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