#イエスの秘義
イエスはその受難においては、人々が彼に与える苦しみを忍
び給う。だがその最後の苦悶においては、われとわが身に与え
る苦しみを忍び給う。「心を傷め悲しみて。」それは人間の手
からくる苦痛ではなく、全能の御手から来る苦痛である。なぜ
なら、それに耐えるには全能であらねばならないからである。
イエスは少なくともその三人の最も親しい友たちのうちに、
いくらかの慰めを求め給う。しかし彼らは眠っている。彼らが
しばし共に耐えしのぶことを、彼は求め給う。しかし彼らは、
まったく彼をなおざりにする。彼らは受難を共にする気持ちを
もたないので、一瞬間も眠りにうちかつことができなかった。
かくしてイエスは見棄てられ、ただひとり神の怒りに対し給
う。
イエスはただひとり地上に居給う。彼の苦痛を感じ、それを
分つ者がないばかりでなく、それを知る者もない。それを知っ
ているのは、ただ天と彼のみである。
彼はこの苦痛とこの遺棄とを、夜の恐怖のなかで忍び給う。
思うに、イエスが嘆き給うたのは、このとき一度だけしかな
かった。だが、このときには、あまりの苦しみにもはや耐えき
れなかったかのように、彼は嘆き給う。「わが心いたく憂いて
死ぬばかりなり。」
イエスは世の終わりにいたるまで苦悶し給うであろう。
パスカル『パンセ』
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