#第一部 ミサの歴史 J.A.ユングマン
第三章 三世紀
テルトゥリアーヌス(2)
+奉献としての理解
テルトゥリアーヌスは「オフェレ」(ささげること)や「オ
ブラチオ」(奉納)という表現を使っている。彼は感謝の祭儀
をより正確にはどう理解していたのか。
これらの用語は、ある文章では祭儀全体をさしている。たと
えば、婦人が執行してはいけない教会活動として、彼があげて
いるものに、教えることや先例を授けること、そしてささげる
こと(オフェレ)が出てくるし、命日に故人のために供える物
にも言及している。また、信者個人の特定の行事にも、こうい
う表現が使われている。
これらの事例から、テルトゥリアーヌスはオフェレという語
を、必ずしも奉献用語として使っているのではないことが分か
る。もともとは俗語で、元来の世俗な意味をとどめている。つ
まり、持ってくること、差し出すことである。神にも、そうす
るのである。当時、グノーシス派が物を軽蔑していたために、
この行為が重視され、キリストの制定された聖なる儀式に組み
入れられて一つの儀式となったのである。
他方でテルトゥリアーヌスは、キリスト教の奉献が地上の供
えものではないことを、全く疑ってはいない。『護教論』には
2世紀の護教家に劣らぬ、語気の荒い文章が出てくる。たとえ
ば、異教のおびただしいいけにえに、断固反対する。「わたし
は神のお求めのとおり、立派ないけにえを神にささげる。それ
は清い体と純な魂から、聖なる霊から出てくる祈りである。」
テルトゥリアーヌスの使う「オラチオ」という語も、何より
も感謝の祭儀を意味する。それはほとんどギリシア語のエウカ
リスチアの同義語である。この祈りに「奉献」、つまり新しい
奉献、キリスト者の奉献が含まれている。彼は、キリスト者の
参加する典礼は、祈り、それも奉献を含む祈りであると繰り返
している。
キリスト自身が、ささげられるものなのである。流される彼
の血を記念するために、つまり十字架上の死を記念するために
キリストは最後の晩餐でぶどう酒を聖別したのである。教会の
なかで奉献する祭司も、究極的にはキリストである。罪から解
き放たれた人が、神殿でささげるべきいけにえ、それは、父の
完全な祭司であるイエス・キリストを通して、教会のなかでさ
さげられる祈りと感謝なのである。
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