#第一部 ミサの歴史  J.A.ユングマン

         第三章  三世紀

  キプリアーヌス(2)

+祭司はキリスト
 キプリアーヌスはキリストは祭司である、と力説する。父であ
 る神の大祭司であり、自分をささげるものとして父に奉献し、
 これを彼の記念として行うように命じたのである。ここでキリ
 ストが祭司であると言われているのは、奉献との関わりにおい
 てである。
 祭司は地上の職務担当者にもあてはまる。祭司も、ささげるこ
 と(オフェレ)ができ、主のからだを配ることができる。しか
 し、ただキリストの代理者としてそれをするのである。
 本当の祭司はキリストであるから、感謝の祭儀は「主の奉献」
 とか、短く「主のもの」(ドミニクム)とも呼ばれている。し
 かし注目すべきことは、十字架の奉献との関連が、ほとんど見
 られないことである。
 感謝の祭儀が奉献と呼ばれるのは、十字架上の奉献を現在化す
 るからではない。キリストが、あの時もいまも、十字架上の死
 の奉献を見つめながら、最後の晩餐で奉献し、いまも祭司を通
 じて奉献するからである。「主の受難こそ、われわれのささげ
 るものなのである」とキプリアーヌスは述べている。
 だからぶどう酒も、キリストの血を表すためのものである。感
 謝の祭儀の力強さは、まさにここにある。すなわち、主の受難
 とわれわれの贖いの秘義そのものなのである。
 祭司であることと奉献は、十字架上の死から切り離されてはい
 ないし、また感謝の祭儀は、キリストの受難を表現するものと
 みられている。

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