約束の地を見つめて

    アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
    アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
                    (創世記12:4)

+宗教学者エリアーデは、『世界宗教史』の中で、「約束の地を
 みつめて」旅立ったアブラハムの信仰を、「後に、イサクを生
 贄に捧げるように神に命じられた時と同じである」(創世記2
 2章)と記しました。
+ヘブライ書の著者はこんなことを言っています。「信仰によっ
 てアブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむ
 った時、それに従い、行き先を知らないで出ていった」と。実
 際、この時アブラハムは75歳でした。75年住み慣れた土地
 を捨て、親しい者たちと分かれ、故郷を後にすることは、人生
 における激変です。しかしアブラハムは、住み慣れた地を離れ
 約束の地を目ざして旅立ったのです。
+アブラハムのこの生き方の原動力となっているものは何でしょ
 うか。それについて一つの示唆を与えてくれるのは、アブラハ
 ムが行く先々で「祭壇を築いた」とある事実です(創世記12
 :6−7、8、13:3−4、18)。
+アブラハムは世界の恐ろしさと自己の無力さの中で、根本的な
 問いを発したのです。彼は深淵を前にして救済への念願に駆ら
 れたのです。
+エリー・フォールは『約束の地を見つめて』の中で、「…われ
 われはいま、前代未聞の世界を前にしている。以前われわれの
 生存理由が支えられていた一切の価値が崩壊したか、さもなけ
 れば再検討されつつある」と記しました。そして、こう言った
 のです。「われわれは、要するに人間というものは、普遍的諸
 関係の全体の中に自分が所属していると信じない限り、内面的
 にも、恐らく表面的にさえも、生きることが不可能であること
 に気づいたのである。」
+神の召命にしたがって、約束の地を目ざして旅だったアブラハ
 ムの、祭壇を築く生き方にあるのは、まさにこれではないでし
 ょうか。一切の価値が崩壊した前代未聞の世界で、人間が人間
 らしく生きうるのは、神を神とすること、即ち、「普遍的諸関
 係の全体の中に」自分の存在を見出すことによるのです。「神
 は死んだ」と言われる現代、脱宗教化と言われる現代は、深く
 宗教的次元を必要としているのです。

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