人間性の茂み
彼は夢を見た。
先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、
神の御使いたちが上ったり下ったりしていた。
(創世記28:12)
ヤコブの逃避行話は、創世記27章の、ヤコブが父イサクを欺
いて、兄エサウの祝福を奪い取ったという出来事と結びついてい
ます。死の時が間近に迫ったことを悟ったイサクは、長男エサウ
を祝福しようとしました。その前に、猟師であるエサウが獲った
獲物を是非食べたいと申し出たのです。
その話を立ち聞きした母リベカは息子ヤコブに、兄エサウにな
りすまし、父の祝福を奪うようにと持ちかけたのです。そんなこ
とをしてもしバレでもしたら、祝福どころか呪いを受けることに
なる、とヤコブは拒みますが、もしばれたら、その時は責任をす
べて私が引き受ける、とのリベカの勢いに押されて、ヤコブは母
の言う通り父イサクを欺いて祝福を奪ってしまうのです。
やがて狩りから獲物を携えて帰ってきたエサウは、弟ヤコブが
父イサクを欺いて祝福を奪ったことを知り、激怒し、弟に殺意を
抱くのです。
兄の殺意を知ったリベカは、ヤコブを逃したのです。こうして
ヤコブは、兄から逃げて、逃げて、逃げて、とある場所に来た時
そこで一夜を過ごそうと、石を枕に身を横たえたのです。そして
ヤコブは「夢を見た」のです。
それにしてもアブラハム物語の後にこうしたヤコブ物語を読む
と、おそらく多くの人が心理的な抵抗感を覚えるのではないでし
ょうか。ヤコブの生涯に私たちが見るのは、欺きであり、裏切り
であり、そして骨肉の争いなのです。こんなことを言った人がい
ます。「ヤコブ物語は総じて非精神的である。欺きの物語はそれ
でもなお祝福を問題としているのだが、読者は総じて話全体を読
むとき神とその御業とを非道徳的な人間性の茂みの中に見失って
しまう」と。
21世紀を生き始めた私たちもまた、深い「人間性の茂み」の
中にいます。ヤコブは夢で神を見ました。私たちは何で神を見る
のでしょうか。十字架のキリストに!です。十字架のキリストは
人間性の茂みに現れた「隠れたる神」です。
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