#光を求める緑のように
+奥羽教区総会が終わった。秋田から盛岡までの2時間強のドラ
イブは実に気持ちのよい旅であった。五月晴れのなか、新緑に
萌える緑の街道をひた走った。秋の紅葉もいいが、春の新緑が
またいい。よく耕された田んぼにはられた水が、空の青さと木
木の緑を写し出す美しさは神秘的でさえある。
+ふと心を過ぎる。神に創られた被造物の中でただ人間だけが醜
く歪んでしまっていると。自らを汚し、他者を傷つけ、自然を
破壊しながら生きるしかない姿がそこにはある。取って食べて
はならないといわれた木の実を取って食べたことで、エデンの
園を追われた人間の宿命がそこにある。
+奥羽教区は本来相容れない二つの基準、「日本基督教団信仰告
白」と「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての
告白」に立って教区宣教を考える、実に奇妙な教区である。教
団があの戦時下で過ちを犯したことは周知の事実である。しか
し、鈴木正久教団総会議長名で発表された「戦責告白」は、発
表当初から様々な議論を巻き起こしている。「戦責告白」を読
む限り、その底流にある思想は罪の告白、懺悔というにはほど
遠く、「マルキシズム」あるいは「実存主義」との指摘さえあ
る(藤川武治 「主体的責任論1971年『今日の教会』」。
+山北宣久教団議長は第35回教団総会議長報告に12項目の所
見を付した。「教団の歩みに誤りがあったことを神の御前に懺
悔し、新しい歩みに導かれ」たいとの願いからである。その9
項に、「いわゆる『戦争責任告白』の教会的位置づけを明確に
し得なかったこと」を挙げておられる。「マルキシズム」や
「実存主義」ではない(ゆえにその預言者的使命は「偽預言
者」となっている)、聖書をエネルギー提供源とした真実の悔
い改めが起こることを待ちたい。光を求める緑のように、キリ
ストを求める渇きの中でしか、それは起こらない。
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