#手で触れるこころ
+聖書には、富は神と並ぶ力である、とあります(マタイ6:24)。
1970年代から80年代にかけて、共同通信社の記者たちが
『日本の幸福』をテーマにしたルポルタージュを連載しまし
た。そのうちの一つに、『飽食窮民』と題されたシリーズがあ
ります。それは80年代半ばから90年代の、あのバブル景気
に沸き立った日本の状況を、人々の心の風景を通して描きだし
た意欲的なルポルタージュです。
+この本を読んでおりますと、もっとおカネが欲しい、もっと大
きな家に住みたい、もっと楽な暮らしがしたい……。そう願っ
て、われ先にと虹の橋を渡ろうとした善男善女の、欲望迷路に
はまってもがく姿が目に浮かんできます。共同通信社の記者た
ちは、そうしたカネとモノによって心を狂わされ、翻弄されて
心を病む人々に寄り添い、彼らの声にならない声を活字にして
いったのです。
+ルポルタージュは、この繁栄の中の飢えを説明するのに、ギリ
シア神話の中から『ミダス王の物語』を紹介しています。王が
手にするモノはすべて金に変わるという物語です。こんな結構
な話があるでしょうか。触れるモノがすべて高価な金になるの
です。ところが、ここに困ったことが起こるのです。水を飲も
うと思ってコップを持つと、コップも水も金に変わってしまう
のです。
+この神話と日本の幸福が似ている、というのです。私たちがど
んどんモノを求め、モノが溢れかえるようになっても、一番欲
しくて必要なモノが手に入らない……。これは窮乏そのもので
す。しかも、ミダス王なら触れるモノはみな金になりますが、
私たちが触れたモノは全てゴミと化したのです。
+モノでは満たせない心の飢えは、幼い子どもたちから純真な笑
顔を、この上なく純な希望の瞳を奪いました。輝きを取り戻し
たい。主イエスの手が触れた者は皆、輝くいのちに変わってい
る。主イエスの手になりたい。
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