#直接的で生きた神
+私は、まるですぐにでも地獄の火の中へ飛びこもうとしている
かのように勇気をかき集め、考えの浮かぶにまかせた。私は自
分の前に大聖堂と青空があるのをみた。神は地球の上のずっと
高い所で、黄金の玉座に坐っており、玉座の下からはおびただ
しい量の排泄物が、きらめいている新しい屋根の上にしたたり
落ち、屋根を粉みじんにこわし、大聖堂の壁をばらばらにこわ
すのである。
+つまり、こうだったのだ。私は途方もなく心が軽くなるのを感
じ、名状しようのない救いを感じた。予想していた破滅の代わ
りに、神の恩寵が私の不意をつき、それとともに私のかつて知
らなかったほどの言いようのない幸福感が、やってきた。私は
幸福感と感謝のために涙を流した。
+以前、私が理解していなかった沢山のことがらが、私にははっ
きりしてきた。それは、父が理解していなかったたぐいのもの
であった。つまり、父は神の意志を体験しそこない、最もよい
理由のために、また最も深い信仰から、それに対抗したのであ
った。それが、すべてをいやし、すべてを理解できるようにす
る神の恩寵の奇跡を、かつて一度も父が経験したことのなかっ
た理由である。
+父は聖書の掟を自らの規準と考えていた。つまり、父は聖書が
規定し、先祖が彼に教えたような神を信じていたのである。け
れども父は、全能で自由で、聖書と教会の上に立ち、自らの自
由を分かちあうために人間を求め、無条件で神の命令を満たす
ために、人間に自分の見解と信念を棄てることを強いる、直接
的で生きた神は知らなかった。人間の勇気を試す際には、神は
たとえそれがどんなに神聖であろうとも伝統に固執することを
拒む。
+私に神の恩寵をもたらしたのは服従であり、その体験をした後
ではじめて、私は神の恩寵が何であるかを知ったのである。人
間は、神にすっかり身をまかせなければならない。つまり、神
の意志を満たすこと以外には何も重大ではない。さもなければ
すべては愚かしくかつ無意味である。神の恩寵を体験して以来
私の本当の責任が始まった。なぜ神は御自分の教会を汚された
のだろうか。それは私にとっては恐ろしい考えであった。しか
しその時、神は何か恐ろしいものでありうるというぼんやりし
た理解が生じてきた。私は暗く恐ろしい秘密を体験していたの
であった。
+その体験はまた、私の劣等感を増大させる効果を持っていた。
私は自分を極悪人か卑劣な奴、つまり際限なく堕落していると
思ったのである。しかしその後、私は新約聖書をこまかく調べ
はじめ、パリサイ人や収税吏のこと、および神に見放された者
は選ばれた者であるということを読んで満足した。不正な執事
がたたえられ、気迷いするペテロが教会の礎石に命じられたと
いうのは、長く印象に残った。
(『ユング自伝』「学童時代」)
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