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I.M.葬儀説教
聖書  ルツ記1章15〜21節
    コリントの信徒への手紙二 4章6〜11節
讃美歌 320,312,495
    (未信者、教会員の夫)

 I.M.さんは14日、肺炎で地上における64年の生涯を終え、主のみもとに召されました。肺がんが見つかったときは末期であり、その検査を16日に行う矢先の突然の死でした。父親譲りで、つりが好きで、よく夜明け前につりに出かけていたそうです。多方面にわたるご趣味をお持ちであったと伺いました。調理師として、職人として、その一生を全うされました。

 I.さんは昭和21年3月1日、敗戦後の混乱の中で生を受けました。男6人、女1人の7人兄弟でした。故人の人となりにつきましては、後ほど弔辞で、お兄様のYさんからお聞きするとして、私は神の言葉聖書から、64年の生涯を全うされたI.M.という一人の人間の生と死に向かい合いたいと思います。
 わたしたちは神によって結ばれた縁によって、I.M.という一人の人間の死と葬儀に立ち合うことになりました。それは、私たちがこれまで生きて来た人生を振り返る時であり、同時にまた、この死を越えてどう生きるかを考える時です。言い方を換えますと、I.さんの死が、この場に参列されたお一人お一人の残された人生に、よりよい実りをもたらすものであって欲しいと思うのです。それは64歳という若さで、これからという時に、この世を去ったI.さんが、何よりも願っていることではないでしょうか。「僕の人生はここまでです。しかし、皆さんはこの先を生きて行かれるのです。よりよい人生を送ってください。」そう語りかけてくるI.さんの声が聞こえてくるような気がします。

 I.さんはこの国が敗戦の混乱の中にあった時、この世に生を受けたのです。I.さんは、私たちの国が廃墟の中で、新生日本として生まれ変わろうともがいていた時に生を受けたのです。それから64年、I.さんはどのような時代を生きて来られたのでしょうか。
 日本は戦後二度の荒廃を経験した、と言った人がいます。敗戦によって奪われたのは「権威」でした。それは「父なき時代」の開始を意味していると。つまり、いかに生きるべきかについて、どこにも確かな規準も権威も見いだせない時代が始まったのです。しかも、時代はますますその傾向を深めているように思います。
 隣国の朝鮮動乱をきっかけにして始まった経済成長によって奪われたのは、母なるものとしての自然であり、故郷であり、文化でした。それは「母なき時代」への突入を意味したのです。橋本義夫はふだん記文集「ふるさと」の序文「『ふるさと』は思い出にしか無い。過密地帯も過疎地帯も同じである。老人も、壮年も、若者も同じである。この『ふるさと』の喪失が、人間の精神を不安定なものにし、現代人の行動の一因になっている。・・・『ふるさと』喪失は、戦災被害にも優るとも劣らない大きな破壊で、全国民に与える被害は長く続くことであろう。」
 日本の政治史の時期区分からしますと、昭和20年8月15日、第二次世界大戦による敗戦が歴史的な画期となります。しかし、人々の生活史・世相史の観点からみると、昭和35年(1960)あたりが大転換の画期となるのです。いわゆる高度経済成長がこのころから本格化し、20年ほどつづいて、「生活革命」といってよいほどの空前の大変化を国民のうえに招来したのです。
 昭和30年、I.さん9歳の頃、わたしたちの国は農業生産のピークを迎えました。商工業も戦前の水準を抜き、「神武景気」とはやしたてられました。その翌年、『経済白書』は「もはや戦後ではない」と宣言したのです。日本はきわめて短期間に半農業国家から高度工業国家、近代産業社会へと急変して行ったのです。この社会変動の速さ、激しさは未曾有のことであり、国民が得たものと同時に、失ったものもまた計り知れないほどの質・量に達したのです。

 きょう、わたしたちの前に飾ってあるI.さんの遺影は、28歳当時のものであるとお聞きしています。I.さんが料理人として生きる決断をした頃のものだそうです。この国が高度経済成長の坂をひた走っていた1975年頃の写真です。しかし、I.さんの人生は、高度経済成長の波に乗り、うまく泳ぎ切るというものではなかったようです。奥様M.さんから、辛いこと、苦しいこと、困難なことの多い人生でしたとお聞きしました。
 否、波にうまく乗っていたように見えた者たちもみな、結局、バブル経済という命名が象徴しているように、幻想でしかなかったのです。夢の後片付けで、いま私たちの国は出口なしの不況に喘いでいます。「進歩の潮流はあまりにも速く、変革の波はあまりにも高い。力でもスケールでもスピードでも、今度の変化は歴史上比べるものがない」時代でした。それにしても私たちはこのまま、何もかも破壊しつくす変化の波にただ翻弄されるしかないのでしょうか。わたしは、I.さんが生きたこの64年を越えて、さらに先へ進む道標が、先ほどお読みしたルツ記1章にあるように思います。

 ルツ記一章に描かれた時代背景もまた、荒廃の時代でした。士師時代の末期、それは王がなく、「いかに生きるべきかについて確かな規準も権威もない」時代でした。その時代にユダヤのベツレヘムを飢饉が襲います。政情不安の上に経済危機が加わったのです。エリメレクとナオミ、そして二人の息子マフロンとキルヨンの四人家族は飢饉を逃れ、ふるさとを後にし、外国に活路を求めたのです。
 モアブの地に移り住んだ当初、家族は貧しくても幸せでした。家族四人、肩を寄せ合い、生きることができたのです。しかし、その団欒は長く続きませんでした。見知らぬ地で、家族を養うための重労働がたたったせいか。夫エリメレクは妻と二人の息子を残して死んでしまうのです。後に残されたナオミは、女手一つで二人の息子を育て上げ、嫁とめあわせます。それがどんなに大変であったかを聖書は一言も記していません。記さなくても読者には分かるのです。異国の地で夫に先立たれ、二人の子供を育て上げ、嫁とめあわせたのです。
 ナオミはやっと肩の荷をおろし、余生は孫の世話でもして暮らそう、そう思ったのはないでしょうか。これで苦労が報われると。しかし、1年しても、3年経っても子供ができず、ついに10年後、二人の息子は子を残すことなく、相次いで世を去ってしまうのです。
 先ほどお読みした聖書の御言は、夫に先立たれ、二人の息子に先立たれたナオミが、死ぬときはせめてふるさとの地で、そう思い、重い足を引きずりながら故郷ベツレヘムに帰って来た時に口にした言葉です。それは神に挑みかかる凄さがあります。人生50年、結局、徒労でしかなかったと! この先の人生に何の希望も無いと。出て行くときは満たされていたのに、今は空手であると!
 実は、ルツ記は、夫に先立たれた時も、二人の子供に先立たれた時も、一切、ナオミの涙、ナオミの苦しみを描いていません。ナオミは必死に苛酷な運命に耐えていたのです。そのナオミが、何十年か振りで故郷の土を踏んだ時、町中の女たちが彼女を喜び迎えたのです。この女たちの歓迎が、苛酷な運命に必死に耐えていたナオミの心を解きほぐしたのです。ナオミは心の底に溜まっていた思いの丈を一気に神に吐き出したのです。

 実は、聖書には、この時のナオミのように、神に挑みかかるような、思いの丈を神にぶつける祈りが満ちています。神はご自分に挑みかかる祈りにどう答えられるのでしょうか。神の胸ぐらをつかみ、激しく挑みかかる者たちの祈りに、聖書の神はなんと答えられたでしょうか。神の答え、それが十字架のキリストなのです。神の御子イエス・キリストが十字架上でこう叫んでいるのです。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか。)」
 教会は、この十字架上のイエスの叫びに神の答え、その救いを聞いたのです。それにしても何もかも失って激しく神に挑みかかるナオミへの答えが十字架のキリストであるとはどういうことでしょうか。I.さんの葬儀のために読まれたもう一つのみ言葉がそれに答えています。
 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいます。
 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
 わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」

 私たちは、罪の重荷と死の性とを身を負うて、地上をさまよう存在です。その私たちに希望があるとすれば、それはキリストの十字架だけなのです。十字架こそ、痛みの下に横たわる世界、死の相のもとに横たわる大地の希望なのです。I.M.の64年の生と死を越えて、私たちがなお先へ進むことができるとすれば、それは十字架のキリストに神の救いを見る以外にないのです。

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