#精神的飢餓

+キューブラ・ロスは、死を宣告された末期患者が、死を受容し
 ていく過程を臨床的に解明し、『死ぬ瞬間』として発表した。
 この本の冒頭でロスは、「最近の大きな社会変化」に触れ、こ
 んなことを言っている。
+過去何十世代かに疫病で倒れた人の数は大変なものである。嬰
 児、幼児の死は頻繁で、家族のどのメンバーかが幼いときに死
 ななかった家は極々少なかった。しかるにここ数十年の間に医
 学は大変に進歩し、予防接種の普及でほとんど根絶された病気
 は数知れない。…。
+ところがそうした、急性な生命に関わるような小児科関係の病
 気は減ってきて、精神身体的障害、適応困難、行動異常などの
 子供の患者が次第に増えてきている。医師の待合室には情動問
 題を抱えた患者が多くみられるようになった、と。
+「ホスピタリズム」という言葉がある。乳児院や養護施設など
 で、母親との関係を持たずに育った子供に見られる、各種の病
 状を言い表す医学用語である。19世紀から20世紀の初めに
 かけて、乳児院に収容されている乳児の、身体上の問題に対し
 て使われたのが最初である。
+乳児院の乳児の死亡率や罹患率が高く、栄養を十分に与えても
 身体の発育がおもわしくないとか、あるいは、栄養障害を起こ
 しやすい、ということがあった。「乳児院貧血」といわれる症
 状も認められた。また、一人の子供が伝染病にかかると、次々
 と他の子供に伝染し、中には死亡する子供もいた。
+ドイツの小児科医がこうした症状には、精神的なものが深く関
 連していることを発見し、「精神的飢餓」という言葉を作って
 栄養や感染防止のみでなく、精神的看護の必要性を説いた。つ
 まり、精神的な看護に欠けると、栄養物の消化吸収に障害を起
 こし、病気にもかかりやすいことを指摘したのである。
+その後、ホスピタリズムの精神面での研究も進み、乳幼児期の
 体験がその後の人格形成に、重大な影響を及ぼすことが明らか
 になってきた。1951年、世界保健機関は『母親の栄養と精
 神衛生』の中で、「精神的健康には、乳幼児期の暖かい緊密な
 母親(または母親代わりの人)との持続的関係が必要である」
 と述べ、「母性的愛情」の重要性を指摘するに至った。
+しかし、こうした研究成果に逆行するように、時代は「精神的
 飢餓」感を深めていった。冒頭で紹介したキューブラ・ロスの
 言葉は、かつて乳児院や孤児院で特徴的であったものが一般化
 しつつあることを物語っているのではないか。わたしたちの社
 会全体が、孤児院化し、乳児院化しつつあるのだ。わたしたち
 の社会全体が、母性を失ったのである。
+敗戦後の混乱の中で生まれた子供たちが大人になり、親となっ
 た頃、この国は高度経済成長の真只中にあった。人々は都市へ
 流入し、核家族化が一気に進行した。今、団塊の世代の親たち
 から産まれた子供たちが、子の親となっている。家族の崩壊は
 ますます進んでいる。わたしは今の子供たちが大人になり、親
 となった時のことを想像すると、身のすくむような恐れを覚え
 る。そこに見るのは抜け殻となった家族の残骸である。
+教会は、この小さな家族の大きな崩壊に止刀を刺すことができ
 るのか。教会は「血によってではなく、肉の欲によってではな
 く、人の欲によってでもなく、神によって生まれた」(ヨハネ
 1:13)「神の家族」である。キリストの体なる教会は、父
 なき・母なき時代に生きる孤児たちの神の家族である。

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