知識を力とする世界
主は彼らをそこから全地に散らされたので、
彼らはこの町の建設をやめた。
(創世記11:8)
+世界と人類のおかれている根本的状況を記した創世記2章4節
後半から11章、いわゆる「原初史」は、文明の緩やかな立ち
上がりに、アルビン・トフラーが『パワーシフト』で展開した
力の移行を見ているのです。額に汗して食糧を得るアダムの筋
力、二人の妻を娶ったレメクの金力、そして天に届く塔を建設
した知力です。
+もっとも、聖書とトフラーの見解との間には、決定的な違いが
あります。トフラーは、知識が力を持つ世界について次のよう
に語っているからです。「新しい文明は、我々の知的な協力に
より、世界史の中で初めて、真に人間的な文明になりうるので
ある」と。
+果たしてそうでしょうか。聖書は、人間の力が知識に到達した
とき、そこに何を見たのでしょうか。み言葉にこうあります。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このよ
うなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨
げることはできない。」(11:6)
+神が人間の知識を前にして震え上がっているのです。それは一
見、涜神的な言葉です。あたかも神を冒涜するような表現でも
って、知識を力まで高めた人間の、得体の知れない無気味さを
言い表しているのです。
+利根川進はノーベル賞をもらう数年前、NHKのインタビュー
に答えてこんなことを言っていました。たといある技術の延長
線上に、マイナスの可能性があったとしても、それで研究をあ
きらめたりしないのが人間である、と。この時、利根川の脳裏
に何があったのだろうか。ヒロシマ・長崎ではないのか。「科
学は現代のシンボルであるが、しかし精神的には結局無力であ
る。」(ヤスパース『歴史の起源と目標』)。
+これが善悪を知る木の実を取って食べた人間の宿命、本性なの
です。神はこの人間の本性を前にして震え上がったのです。
「彼らはすでにこの事をしはじめた」と。そうです。「進歩の
潮流はあまりにも速く、変革の波はあまりにも高い。力でもス
ケールでもスピードでも、今度の変化は比べるものがない」の
です。
+「知識を土台とする力」が支配する世界は、トフラーが予測し
たように真に人間的な文明になりうるのでしょうか。実は、ト
フラー自身、ある懸念を口にしています。「第三の波が来ると
急速な工業化は新植民地主義や貧困からの解放を意味するのか
それともかえって永遠の従属を意味するのかが、怪しくなって
くる」と。
+21世紀初頭、カジノ経済がもたらした世界は格差社会、すな
わち「永遠の隷属」ではないのか。人間はいつ、神のような知
識をもつ世界に震えあがり、悔い改めるのだろうか。悔い改め
なければ、人類の、そして人間の終焉は意外に近いかも知れな
い。